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2017年5月28日 (日曜日)

《大澤有信の談話室》 「『応仁の乱』(呉座勇一著)を読む」

「応仁の乱」(中公新書:呉座勇一著)、堅忍を以て読み終えました。
30万部、話題の本ということで、ミーハーな私はすぐに飛びつきました。Photo

しかし、専ら「小説」愛読を常としている私にとって、学術書に近い本書の通読は、正直辛抱の連続でした。
(それにしても、登場人物のなんと多かったことか…約300人)
京都人にとって「先の戦争とは、第一次・第二次でもなく、応仁の乱」という都市伝説があるそうです。
分かっているようで、よく分からない。

「細川勝元」(写真右)と「山名宗全」(写真右下)の東西対決くらいしか知らない応仁の乱。
そもそも発端は、管領家である「畠山氏」、「斯波氏」の家督争いであり、それに足利将軍家の御家騒動、南北朝問題、その他諸々が絡み、泥沼のような戦乱が広がっていきました。Photo_2
そのかなりの部分は、興福寺の僧である「経覚」による「経覚私要しょう(金偏に少)」及び同じく「尋尊」による「大乗院寺社雑事記」を参考として、様々なことが詳細にわたり、意欲的に書かれています。

そういえば、正規兵ではない「足軽」の出現、それまでの城の攻防戦を一変させたといわれる「井楼」(せいろう)の考案も応仁の乱だったそうです。
「内藤湖南」の「現在の日本と関係があるのは、応仁の乱以降であり、それ以前の歴史は、外国の歴史と同じである」という過激な一節も紹介されています。

そんな折、5/13日の日経新聞「文化欄」に
【室町の混乱、現代の鏡に】 【新たな視点の歴史小説相次ぐ】Photo_3
というタイトルの記事がありました。
一部紹介させてもらいますと、本書著者呉座勇一氏は、
「室町には現代同様、金融業の突出現象、バブル経済があった。
貨幣流通量が急増し、信用取引が加熱した当時の経済は、投機的で、金融業だけが儲かっていた。
やがて、ひずみが生じてバブルは崩壊。幕府も弱体化して、応仁の乱に突入し、戦国時代へと向かう…」と述べています。
格差・バブル等、正に【現代の鏡】かもしれませんね。
いい加減で、支離滅裂な室町時代。

私はあまり興味が持てませんでしたが、反面、司馬遼太郎も述べているように、農・工業生産の向上が余裕と好奇心を生み、礼儀・作法、文化芸術に興隆が見られた室町時代。
【新たな視点】の歴史小説…読んでみましょうかね。

5月16日は旧暦の3月27日に当たり、元禄2年「松尾芭蕉」は弟子の「河合曽良」と共に「おくの細道」の旅に出発しました。160930

「いにしえの、旅立つ朝に、別れ霜」…遊雲
                (右写真:投稿者大澤有信)

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コメント

本日12月4日払暁、全国200万人のリスナーを抱えるNHKラジオ深夜便。
本郷和人氏・神田蘭女子による「近代日本150年 明治の群像」で山県有朋が取り上げられました。

それにしても、本郷氏の山県評価は手厳しい。

1ヶ月後は大久保利通です。

PCにて「聴き逃しサービス」なるものあるそうです。

「武田氏滅亡」(角川選書) 平山 優著

読み終えました。この本、私の手元に届くまで5ヶ月かかりました。
750ページに及ぶ大著(私にとって)。
近頃、読書への根気が薄れてきたのを感じていましたので、心機一転、挑戦の意味もありました。
それにしても、膨大な量の出典からの引用は、錯雑・錯綜の連続でした。

「長篠合戦」以降、勝頼死没までの内容であり、「怪物信玄?」は、始めの数ページに登場するだけでした。
ところで、武田家は御曹司の名に「信」の字を入れています。信玄には、長男太郎義信に始まり、七男信清までいましたが、四男勝頼だけが四郎勝頼でした。「勝」は諏訪氏の通字であり、その辺の事情は割愛しますが、武田大家を継いだ勝頼は、長篠以降一時、信玄以上に版図を広げるなど、起死回生を目指しましたが、要衝である、高天神城落城以降、谷底への転落は、哀れを誘います。
毛利はもとより、島津まで巻き込んだ信長包囲網。特に「甲・相・越・三国和睦構想」は、戦国史を左右する大きな可能性を秘めていましたが、謙信の死により雲散霧消、それ以降は戦国お馴染みの離合集散、起請文の乱発、和睦の大安売りでした。特に廻り中、敵に囲まれている武田氏は、勝頼の必死の長略も、やがて来る滅亡を思うと、もの悲しい。
武田・上杉の先代を、あれほど恐れていた信長に対し、勝頼・景勝共に和睦を働きかけましたが、見下され、相手にされなく、二代目が故、先代よりの老臣に何くれと阻まれ、総じて道半ばで頓挫してしまう。
それにしても、武田・上杉・北条・佐竹・今川・里見と、周辺大名の生き残りをかけての、相関の変転はすさまじいものがあります。

管見ですが
佞臣「跡部勝資」「長坂長閑斎」は忌々しい。
「曾根昌世」「穴山梅雪」の内通は酷たらしい。
「保科正直」の離反はやむを得ないか。
「北条氏政」の優柔不断は滑稽。
勝頼は凡庸ではないが、何せ運が悪かった。

最後に私の好きな謙信の一唱を記します。
四十九年 一睡夢
     一期栄華
     一盃酒
     嗚呼柳緑・花紅

7月27日木曜 午後8時00分~ 午後10時00分
NHKBSプレミアムの「英雄たちの選択スペシャル」は、
お馴染みの出演者に加え、話題・評判の「応仁の乱」の著者である呉座勇一氏も出演し
「まさかの応仁の乱!もうどうにも止まらない11年戦争」があります。
関心おありの方はどうぞ!

関係ありませんが、時節らしい話題を提供します。冷房の予約時間が終了し、目が覚めてしまったので、この時間に投稿しました。  ↓

大澤です

6/5付 日経新聞 《 核 心 》に『 いでよ高田屋嘉兵衛 』の一文が載っていました。

その中で、司馬の「江戸時代を通じて誰が一番偉かったでしょうか。……私は、高田屋嘉兵衛だろうと思います。それも二番目が思いつかないくらいに…今生きていても、世界のどんな舞台でも通用出来る人ですね」(週刊朝日1996年5月24日号)が紹介されています。

好漢「高田屋嘉兵衛」…10以上前に読んだが、その精神を思い返すためにも、読み返してみたくなった。

アマゾンのわが購入履歴を見ると呉座勇一著『応仁の乱』を3月6日に手に入れている。実は同僚に『栗岡さん応仁の乱ってご存知ですか?』と聞かれた。(実は何も知らず今でもそうだ)

彼は、前の晩にそのNHKニュース番組を見たのだろう。応仁の乱は、どんな原因で勃発しどのように終結したか実態がよく知られていない。それでいて11年も続いたという「地味すぎる大乱」を描いた本が20万部を超えるヒットになっていると興奮気味に語った。しかし、彼が『応仁の乱』を購入して読んだとは聞かない。

今、調べると番組編成替えの前の3月2日のNHK News Watch9「新書が20万部超のヒット なぜ?」のことだろう。

我が司馬遼太郎は殆どこの時代の作品を残していない。例外となる『花の館』の主人公は乱の当事者たちと言えるが、『妖怪』は時代背景が重なるだけだ。

さて、手もとに届いた『応仁の乱』も積んどく状態になっていた。無理もない。2月12日にやった卓話「長宗我部」が収束できず、長宗我部四国旅行の旅程も考えなければならなかった。

大澤さんは、自らをミーハーと書かれたが、注文履歴を見ると同僚の発言に反応して、すかさず注文したのが明らかな私も負けず劣らずミーハーだ。

積んどくのままにしていて《大澤有信の談話室》「『応仁の乱』(呉座勇一著)を読む」をみて、やられたと思った。
仕方なく読み始めたが、いまだ読了の少し手前でこれを書いている。最新では37万部も売れたという。誰が、どんな人が買っているのだろう?(動機は薄弱だがそれは棚に上げ)俺だよ!と言いたいが読了前だ。それになかなか読み進めない。大澤さんの『堅忍を以て読み終えました。』には苦笑してしまう。

呉座勇一著『応仁の乱』は、登場人物300人という複雑さながら、奈良・興福寺の高僧2人の日記をとおして乱を描いているのが、ユニークなアプローチである。中世においては、奈良とは興福寺のことであったと明言している。ついでながら、昨秋、奈良を再訪し、興福寺にて私は阿修羅像に再会できて幸福を感じた。

先の高僧二人の日記とは、『経覚私要鈔』記主は経覚、『大乗院寺社雑事記』記主は【尋尊】である。
二人は実際に応仁の乱を体験している。

《大澤有信の談話室》「『応仁の乱』(呉座勇一著)を読む」につける私のコメント(実際まだ何も中身がないが)を長宗我部との関係で締めくくることにする。

ポイントは、一条教房が、応仁の乱を避け土佐に逃れたことにある。
一条教房は、一条兼良の長男。応仁の乱が勃発した際、弟の興福寺大乗院門主【尋尊】を頼って奈良に避難する。
さらに父兼良が奈良に避難してきたので、父に奈良の避難所を譲り、一条家領のあった土佐国幡多荘に下向した。
土佐国人に迎えられて生活の基盤を確保し、父兼良の下向を誘ってみたり、父が帰洛した後、土佐から邸宅を作るための木材を送ったりしている。

一条教房の土佐下向は、大変な決断であるが、土佐の国は都からやってきた前関白を天人のように遇し一国をあげて歓迎ぶりを示した。

『夏草の賦』では、国中各郷の土豪たちもあらそって家人になり、教房を押し立てて土佐の国司とし、その国都を幡多郡中村に造営した。

(栗岡;以下、面白い記述がある)このいかにもうますぎる話は遠国らしい無邪気な国柄であってのことともいえるし、時期がよかったともいえるであろう。いますこし遅れて戦国時代になってしまえば、人は実力のみを尊び、家柄の尊貴さなどにこうもおどろかなかったであろう。

一条教房の次男・房家はそのまま土佐に土着して在地領主・大名化し、この子孫(系統)が土佐一条氏となった。

長宗我部との関係というのは、土佐一条家は、長宗我部の亡国を救ったことがある。しかし、事実上の土佐一条家最後の当主の一条兼定は、不器量人で、土佐統一を目論む長宗我部元親に滅ぼされる。

湯川です
「南北朝」と「応仁の乱」を解説できる人はカッコいいと若い頃に思っていました。
以上の理由で数冊読んできましたが、まったく分からない。一方で難しいということだけは理解したので、なまじ解説するのは危険だという知恵だけはつきました(笑)
もちろん読めば流れと事実だけは知識となるが、多くの登場人物が如何なる理由でその決断をしたのか?納得のいく説明が不足しているように感じる。妖怪は司馬小説と割り切って読んで面白かったが、一方で主流以外の大名武将の行動が盲目的に感じて若干の不満を感じたことを覚えています。
とは言っても60年以上生きて、南北朝も応仁の乱も解説を求められるシーンは10年に一度もあるかないかが現実で、分からなくても支障はなかったというのが結論です。
「古いとか歴史があると皆さん云うてくれはりますが、うちは戦後の創業どすから」
と謙遜(自慢)するのが京都の老舗の嗜みで、私の何人かの京都友人家は皆さん同じ表現をします。
だからと言って大東亜戦争後に始めた商売家が同じ表現をすると馬鹿にされるという構図ですね。
京都人が裏で何を思っているのかを解説してくれる人がいらしゃいますが、私にとっては謎々の世界です。
呉座勇一著「応仁の乱」は読んだことはありませんが、今度本屋で立ち読みしてみようっと(笑)
大澤さんUPありがとうございました。

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