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2018年6月26日 (火曜日)

《栗岡健治の談話室Ⅸ》フランスの国民食クスクスのこと

この『栗岡健治の談話室』の投稿に、司馬遼太郎に関わること、そして歴史であることというタガをはめると話題が枯渇してしまう。これすなわち私に司馬遼太郎に関する話題が乏しい所為なのである。150208333
今回の話題について、何を血迷ったかと言われそうだがともかく進めてみよう。

明らかなことは、司馬遼太郎とまったく関係なくなってしまったということ。もっとも既にワイン、シャンソンで、こじつけは措いても司馬とは決別している。これをフランス料理として、フランスの話題3部作のひとつと思っていただければ幸いだ。何しろフランスの国民食なのだ。そしてクスクスにも歴史はある。だが、素人なので文化人類学的考察はしない。私と家族のクスクスとの出会いと長い付き合いもすでに歴史だ。

クスクスとは何か
さて、タイトルのクスクス 驚かれたであろう。ご存じない方が大半ではないだろうか?ただ日本でもかなり認知されてきたと言える。
そしてタジン鍋の流行は終わったようだが、実はクスクスと同じ地域の料理なのだ。
若い世代にはエスニック料理は好んで受け入れられている。その一環でクスクスの認知度もかなり上がったようだ。

Wikipedia
から引くとクスクスとは≪小麦粉から作る粒状の粉食、またその食材を利用して作る料理である。発祥地の北アフリカ(マグリブ近辺)から中東にかけての地域と、それらの地域から伝わったフランス、イタリアなどのヨーロッパ、およびブラジルなど世界の広い地域で食べられている。≫とこうなる。小さい顆粒なので世界最小のパスタとも言われる。硬質のデューラム小麦から作られる。ここまではクスクスの粉(スムールsemoule)のこと。
(写真はいろいろなクスクス)
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クスクスの材料や調理の仕方

クスクスの粉を利用したサラダも人気だが、炊いたクスクス(粉、スムール)に、肉(鶏肉、牛肉)・野菜スープをかけて食べるのが基本だ。なお、魚介類を使ったクスクスもシチリアなどにはあるという。
トマトベースのスープに、ニンジン、カブ、キュウリ、ズッキーニ、タマネギ、カボチャ、キャベツなどの野菜が用いられる。またソラマメやグリーンピース、ヒヨコマメも用いられる。先の小麦粉からできたスムールを炊いたものにスープをたっぷりかけて食する。
スープを煮ながらその蒸気でクスクスを蒸す(炊く)クスクシエ(couscoussier)という食器がある。その昔、私の記憶にある「ご飯蒸し」のごときものだ。

家内の持論は≪クスクスは完全食≫ 更に、いかようにも豪華で贅沢なものにもできる。添えるものに、鉄串にして焼いた牛肉、羊肉、メルゲース(羊肉ソーセージ)などがありこうしたものをクスクス・ロワイヤルという。豪華クスクスとでも贅沢尽くしのクスクスとでも言おうか?

武蔵境の精肉店ムラカミに、以前ほど頻繁ではないが、買い出しに遠征する。最近ハム・ソーセージのコーナーに新商品として、メルゲースがあった。次回はこれを買ってみよう。
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我がクスクスの思い出
私が、初めて食べたのは、1978年フランス語を習うべく滞在していたフランスはVichyというところである。
ある日フランス語の女性教師が、我々生徒に『○日の昼食は、皆でクスクスを一緒に食べましょう』と提案した。当日は下宿の昼食をキャンセルして参加した。レストランの店主はチュニジアかアルジェリア系だった。日本人で、クスクスを食べたことがある者が一緒に参加し、『あんなものちっとも旨くないしアフリカの食い物だぞ!稗か粟のようなものを食うんだ!』とあらかじめ私に吹き込んだが、私の第一印象は悪くなかった。結構いけるものだと思った。北アフリカなどと言わず、使う野菜を考えれば地中海料理とおもえばいい。稗や粟は間違いだ。世界最小パスタと言われている。これで結構おしゃれな感じになる。ただ野菜の切り方は大きめでゴロゴロして野趣豊かな感じがする。

そして
1984年、勤務で再びフランスに住んだ時には、パリ15区のアパルトマンの近くにクスクスのレストランがあり家族でよく通った。いつしか家族は、私抜きでもよく行くようになった。店主はアルジェリア系だった。家族を初めて連れて行ったとき、家内は炊いたクスクスの代わりにご飯であればいいのにと言った。カレーライスの連想だろう。その後しばしば通ううちにクスクスの虜になった。
この店に、大きな鍋を持ってきて持ち帰り用のスープを購入している客をしばしば見たが、日本的というか気取りのない下町情景さながらであった。
それにしても日本では、舶来(こんな言葉を使う自分は余程の昔気質の人間?)の食材が容易に手に入るようになったものだ。何しろフランス・パンつまりバゲットだって美味しくなり、普通のパン屋で買えるようになった。

Couscous
は、北アフリカ起源。出張の折、アルジェやチュニスでも食べた。チュニスではスークの中だった。“おもてなし”なのか特別たっぷりの量を供してくれた。満腹になり、量が多いことをtrop(直截にただ多すぎると聞こえるのか?)と言ってしまったが、ぶしつけな語感があるのだろう。copieuxと言いなさいと訂正された。「たっぷりした、豊富な」という意味だが、こんな時使うにふさわしい典雅さがあるのかもしれない。フランス語が完全に染み込んだ社会で育った人と、四苦八苦習い覚えた者との違いだろう。忘れられない思い出だ。

アラブ世界は禁酒であるが、私が外国人だからか美味しいワインを食中に飲めた。ワインはチュニジアでもアルジェリアでも生産する。おそらく植民者が残したものだろう。クスクスにぴったり合うコクのあるワインだった。これを思ってもクスクスに限っては単に地中海の北岸・南岸と思えばいいのにと思った。


なお、当時のことだが、アルジェリアでは、総合商社やエンジニアリング会社などに働く日本人駐在員(家族も)も多く、クスクスなど思い出したくもないと嫌いになる人が多いと聞いた。他のフランス料理に恵まれず、専らクスクスで嫌になったのかな?と考える。


私のパリ在住は
2年間と短かった。そのままロンドンに転勤し4年を過ごした。滞在初期であったが、ある時、都心の日本人学校補習校から北のフィンチレーの自宅へ車で帰る途中、信号待ちにふと横を見るとAuthentic French Cuisine Couscous(正統クスクス)の案内を見つけた。これでロンドンでもクスクスを食べられると驚喜した。

その後この店に通ったことは言うまでもない。店主は、母がイタリア人、父がチュニジア人で、伊仏英語(きっとマグレブのアラビア語も)をよくする人だった。バブル期でもあり、日本人が日本進出の話を持ち掛け、出張視察などしていたようだがその後を知らない。


それからパリでは、クスクスのあとに子供たちはカラフルで甘いアラブ菓子をよく食べた。コーヒーよりミントティーをよく飲んだ。給仕の男性がパフォーマンスよろしく高く持ち上げたティーポットから手に持ったガラスのコップに注ぐ。我が幼子たちは拍手をして喜んでいた。
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我が家のクスクス
今では、親しんだクスクスを日本で作るのはそれほど困難ではない。野菜も、ズッキーニ、赤や黄のカラー・ピーマンなどもごく身近なものになった。日本のカブは柔らかくて煮くずれるが、あちらのカブはnavetといって煮くずれない。こればかりはどうにもならない。乾燥ひよこ豆(ガルバンゾ―)も水で戻して使う。

我が家では、子供たちにとってクスクスは御袋の味のひとつになっている。

2011
10月 短期間再訪したパリ。マレー地区のモロッコ・レストランl'Arganierで、家内が『ここの味は、私が作るクスクスの味そっくりだ』と声を挙げた。まあその通りだった。東京にいくつかクスクスを出すレストランがあるが、家内の作品も遜色ないだろう。

スムール(粉)の方は、クスクシエもないので、蒸気で蒸すようなことはしない。粉を鍋かフライパンに取り、水を加え、少しバターを加えて熱すればできる。干し葡萄を入れると本格的なものになる。
味については美味しいのひとこと。
それから、エスニックとはいえ刺激的な辛さは全くない。ただ好みで、ハリッサ(harissa)という唐辛子ベースの香辛料を辛さを調整しながら使えばいい。

(写真右)東京のチュニジア大使館でのレセプションPhoto

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コメント

檀一雄のクスクス

檀 ふみの父親の檀一雄(故人)といえば、太宰治、坂口安吾らと交友があって文壇の無頼派、放浪癖で自身も火宅の人だったようだが、美食家としても有名だった。放浪と美食を『美味放浪記』に書いている。国内だけではなかった。海外編というのがあって、スペイン、ポルトガル、モロッコ、ドイツ、イギリス、フランスなどで食べたものについて書いている。モロッコの旅にクスクスが無けりゃおかしいと思いつつ、頁を繰るとあった。少々長いが以下に引用する。
(引用)食卓はアラブ流に、四脚の上に円形の大きな金属盆をのっけたものだ。私達は「羊のクスクス」と、「ブロシェット」と赤い葡萄酒を、註文した。先客は二、三組のフランス人と英国人のようである。
先ず、うやうやしく、金盥のようなものが運ばれてきた。ボーイがタオルを腕にかけて待っているから、手を洗えと云うことだろう。水でもなく、熱湯でもないぬるま湯で手を洗うのは気持ちがよいものである。
やがて、大きな蓋物が円卓の中央に運ばれてきて、その蓋を取ると、「クスクス」だ。クスクスと云うのは、一体どんな喰べ物かと云うと、米の挽割だか、麦の挽割だか知らないが(或いはその両方がまぜ合わされてあるかも知れぬ)、純白の挽割穀粒を、「クスカス」と云うセイロで蒸し上げたものである。
しかし、その蒸し上げたクスクスはサフランの黄と匂いがしみついていて、真ん中に羊の煮込みと野菜類が、カレーライスのカレーの塩梅にドロリとかけてある。これを左手でたくみに手掴みにしながら、口に頬張るわけである。
正直な話、私はそれほどおいしいものだとは知らなかった。前日も「フナの広場」で、「鶏のクスクス」を喰べたのだが、それほど感心は出来なかった。しかし、「ダル・エス・サラム」のクスクスは、さらりとした穀粒の味。その真ん中の骨付羊の煮込、人参、蕪、乾葡萄、豆の渾然とした味わい。ニンニク、オリーブの実、オリーブの油、レモンの合奏、私はまったく兜を脱いだ。「アラブ料理、よろしい」
しかし、フランス人の嗜好に合わせて、相当手加減したアラブ料理かも知れず、そこのところが、おいしかったのかも知れぬ、と何度も思い直してみたけれども、おいしかったのに間違いない。(引用終わり)

なお、説明があり「ダル・エス・サラム」というのは、もちろんタンザニアではない。(モロッコの)マラケシの「フナの広場」から南東に抜けてゆく道をしばらく歩くと、「ダル・エス・サラム」と云う高級レストランがある。

栗岡です。

前掲の写真は、東京のチュニジア大使館のレセプションでのクスクスです。

司馬遼太郎とは縁遠い、奇をてらったような話題「クスクス」を書いた直後は多少後悔もしましたが、意外に多くの訪問者があるようで気をよくしています。そして最近こんなこともあり感無量です。

ひょんなことで日本チュニジア友好協会に入りました。「司馬遼太郎を語る会」の代表である斉藤弘昭氏は、もうひとつのライフワークに、日本古代史の研究をお持ちで「全国邪馬台国連絡協議会」の理事もされています。
この協議会の副会長兼東京支部長をされているのが、内野勝弘氏ですが、さる2018年11月に開催された『日中古代文献から古代史と大和王権誕生の前夜を読み解く』に栗岡は参加しました。

そこで、斉藤氏に紹介された内野氏の名刺に、なんと日本チュニジア友好協会 理事とあり、目が点になった私の関心は、日本古代史そっちのけでそちらに向かったという次第です。

過日チュニジア大使館で、講演「地中海にフェニキア人の足跡を訪ねて」by 日本女子大研究員&当会理事の佐藤育子氏そして新任駐日大使モハメッド・エルーミ氏主催のレセプションがあり参加しました。

【解説】チュニジアの首都チュニス郊外にはカルタゴ遺跡があります。カルタゴはフェニキア人の都市国家で、地中海の覇権を競い、紀元前264年のローマ軍によるシチリア島上陸から、紀元前146年まで断続的に3度にわたる戦争を戦い敗れました。
勇将ハンニバルが有名ですね!

イスラム教の北アフリカ西漸で、チュニジアは、いまイスラムの国ではありますが、この地にあったカルタゴ(人)は歴史の上では先人たちであり貴重な文化遺跡、観光資源として誇りに思っているのではないかと思います。

レセプションでは、美味しいクスクス、チュニジア・ワイン、ミントティー、甘いなつめやしをご馳走になり、大使夫人にとても美味しいとフランス語で褒めて差し上げました。

私のクスクスについてのエッセイ(この本文ことですが)も大使にお見せして、フランス語で、我が子たちのおふくろの味であること、日本で買えるクスクス(粉)とハリッサの写真をお見せして、妻が作ると話したら大いに笑っておられた。Merci de votre amitie! 友情に感謝するといわれた。

写真のクスクス、大使付の料理人の手になるもので理屈から言えば東京で最もおいしいクスクスでしょう。間違いありません。

なお、本文に「素人なので、クスクスの文化人類学的考察はしない。」としたが、チュニジア、モロッコ、アルジェリアなどには、アラブ人が多数を占める以前からの原(先)住民であるベルベル人がいる。クスクスは、ベルベル人の考案した食べ物のようだ。

栗岡です。まだ後日譚があります。

東京でクスクスを食べること

重森様のコメントに『しかし、クスクスは一度食べてみる価値がありそうですね。』とある。さすが中国食文化に造詣深い先生ならではの好奇心であろう。だが、東京のどこで食べられるか?の御下問には、私は東京で食べたことがないので、困った。

別に、≪重森様に教えていただいた≫映画館【アップリンク渋谷】に行くため、HPを開いて時間等確認していたら同じビルの1階に直営のカフェレストランTabela(タベラ)があることを知った。

ひょっとして?と思ったのは※タブレのことで、更にTabela(タベラ)のサイトを開くと果たしてそうでした。というのは、モロッコ、トルコ、エジプト辺りの料理のレパートリーがあり、野菜のクスクスも定番料理のようだ。本当は、Tabela(タベラ)タブレの関係は分かりません。直観です。
これを食べました。合格です。

クスクスには、主にモロッコ系、チュニジア・アルジェリア系があります。ここのはモロッコ系。いんげん豆やクミンも入っていました。
野菜のクスクスなので、やや物足りなさはありますが、アップリンクの1Fなのでお気軽です。贅沢クスクスが食べられるところは別途探してみようと思う。

※小さく刻んだトマトやキュウリ、パセリなどの生野菜と蒸したクスクスをレモン汁、オリーブオイル、塩、胡椒であえたサラダ仕立てのタブレ(taboulé)も万人に好まれる料理であり、フランスの惣菜屋には必ずといってよいほど並んでいる。

なお、映画館を教えてくれたご当人から
『アップリンク直営のカフェレストランTabelaに「クスクス」があったというのは、これまた奇縁ですね。どうも最近奇縁続きでアタマがおかしくなっています。なんにしても、栗岡さん、よくぞ発見して下さいました。有り難うございました。一度食べてみたいと思います。』と
                               

栗岡が、ユニークついでにこんなことを書く。

なぜここに?となるだろうが、こういうことだ。
実は、先の≪現役時代の同期・同僚のF氏≫は、長崎出身のカトリックで、今回の世界遺産委員会の決定を大変喜んでいる。奇しくも彼と久しぶりにやりとりしている時期の正式決定である。彼が懐かしい料理といったクスクスで連絡してきたのだが、これは措いても、この決定時期に重なりなにか感じるものがあった。

かつて彼とロンドンで一緒だったころ、彼が休暇に家族でポルトガルの聖地ファティマを訪ねたことを聞いたことがあり敬虔なカトリックなのだなあと知った。(後年、信者でない私も訪ねたが・・・)

今回世界遺産委員会は、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について、長崎県と熊本県の合わせて12の資産すべてを世界文化遺産に登録することを決めた。

わたしは、「司馬遼太郎を語る会」の機関誌に以前、いわば≪九州賛歌≫を書いて(カトリック教会群)についてこう書いた。
「日本政府は今年9月、ユネスコに「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本県)の世界文化遺産登録を推薦することを決めている。暫定版の推薦書をユネスコに提出したので、2016年夏の世界遺産委員会で登録の可否が審査される。」
「長崎の教会群は、現存する国内最古のキリスト教会で国宝の大浦天主堂(長崎市)や、禁教下に潜伏キリシタンが信仰を守った「天草の崎津集落」(熊本県天草市)など13の文化財で構成されている。私はこの推薦を大変喜ばしく思っている。」

当時は、13の文化財で構成されるものであったが、今回の決定に至るまでの2年の遅れと経緯にやきもきしたこともあるが、やっと決定して大変嬉しい。

12の資産のうち、南島原市の「原城跡」、熊本県天草市の「天草の崎津集落」。長崎市の「外海の出津集落」「外海の大野集落」、新上五島町の「頭ヶ島の集落」、長崎市の「大浦天主堂」は訪ねたことがある。

なにはともあれ嬉しく、関係者の努力を労いたい。ただ、富岡製糸場など、世界遺産になっていろいろな課題を背負い込んだ地元自治体のことも聞くので、今後順調な運営を望み、期待したい。

蛇足だが、司馬遼太郎の『街道をゆく』では、「島原・天草の諸道」が直接関係し、「肥前の諸街道」が地域として関係する。私は12の資産すべてが素晴らしいとおもうが、「天草の崎津集落」こそ白眉だと考える。

また登場しました。栗岡です。

・クスクスにはいろいろなヴァリエーションがあります。我が家のクスクスの材料には、セロリが不可欠です。

さて今度は、アルジェリアに勤務経験あるの日本人の典型かもしれない。(帯同家族の方ですが・・・)
『おっしゃる通り、私達は懐かしくはありますが、クスクスはそれ程好きにはなれませんでした。』との述懐をお聞きした。
どうも『クスクスはアルジェリアを思い出す時の一番の代名詞。特に夏の生活環境が厳しく辛かったこととクスクスが重なるからかもしれません。』
それでも、アルジェ滞在の記念にクスクス鍋(couscoussier)を買って帰られた由。愛憎というと大げさだが複雑だと思った。クスクスの偏見を除きたいとも。

クスクス大好き能天気の私は、2月寒いパリを発ってアルジェに出張したことがある。菜の花が咲き乱れる陽気に驚いた。と言うことはやはり夏の暑さは半端でないのだろう。

栗岡です。

重森様ありがとうございました。
専門はほかにもいろいろお持ちですが、中国食文化をライフワークとされている先生に、「蒸す調理技術」という点から、クスクスに興味をお持ちいただき光栄です。

またこんな反響もありました。
≪クスクス≫懐かしい料理の名前を拝見したのでと、現役時代の同期同僚のF氏が、Facebookにコメントをつけてくれた。

『アルジェリアから日本に帰国して間もないM叔父宅で、奥様がまだクスクスの材料があるよと、アルジェリア民族料理だと紹介して、ふるまってくれた』との思い出話。

Mさんはエンジニアリング会社勤務であったので、一度ならず、アルジェ勤務、パリ勤務を繰り返しておられた。

パリ15区で、M氏のアパルトマンは我が家の地下鉄駅Cambronneの隣駅Sevres-Lecourbeにお住まいだった。歩いても行ける距離。

F氏に紹介されてのお付き合いではなく、パリ在留邦人として新米の家内にMadame Mが先輩として親切にしてくれて可愛がってくれたもの。しかも我が家がロンドンに移ってから、F氏から親戚関係にあると明かされ驚いたくらい。

アルジェを経験した日本人のクスクス嫌いのことを書いてしまったが例外があったようだ。Madame Mもご主人もクスクスがお好きだったようだ。

クスクスに関するご労作、拝読しました。この料理については、以前、玉村豊雄さんのエッセイなどで読んだことがあり、ヨーロッパにはない「蒸す調理技術」がマグレブ地方にあるというので、興味をもっておりました。北京の小吃の中に「炒疙瘩(チャオゴオタア」という小麦粒料理があり、系統としてよく似ております。ただしこちらは強火の炒め料理です。「ゴオタア」というのはアバタやオデキの意味で、実に悪趣味のネーミングですが、ブラックユーモアを愛する老北京らしく、彼らの哄笑が聞こえそうです。
取材中、これは食しませんでした。当方のように「戦中・戦後代用食忌避世代」は、おコメを至上のものと崇めておりますので、あまり興味が持てなかったからです。しかし、クスクスは一度食べてみる価値がありそうですね。これは栗岡さんの筆力と経験談の力によるものと思っています。いずれにしても、楽しく、コクのあるエッセイを有難うございました。
                                       重 森 貝 崙 拝

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