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2019年11月 2日 (土曜日)

≪栗岡健治の談話室Ⅻ≫「令和」の“考案者”国文学者の中西進氏による司馬遼太郎へのオマージュ

「令和」の“考案者”国文学者の中西進氏による司馬遼太郎へのオマージュ
 ~ただし、今を遡ること22年前のNHKラジオから~

時空を超えてこんなことを書くのには訳がある。陳腐化することなくいまだ新鮮だから。 
中西進氏は、当時帝塚山学院大学教授で、生前の司馬遼太郎と親交が深かった。

その番組”
古い録音テープを聴いた。1997(平成9年)年のNHKラジオの「新春朗読への招待」を私が録音したもので、既に22年も経っている。
当時私は社会人現役で、その意思をもって録音しながら、聴き直すことも無く、いわば宝の持ち腐れになっていた。音声だけのこの番組Youtubeにもなさそうだ。
NHKのアナウンサーらが司馬遼太郎の5作品の抜粋を朗読したものである。聴き易く心地いいものだ。司馬作品すべてではないだろうが、ここでの作品はいずれも朗読に向いていると思う。

この番組は、前年に物故した司馬遼太郎、宇野千代、遠藤周作を「三人の作家たち」とし3日間放送したもので、初日の司馬遼太郎の回のゲストは、万葉学者で今年「令和」の“命名者”とされた国文学者の中西進氏で、当時は帝塚山学院大学教授で、生前の司馬遼太郎と親交が深かった。
聞き手は杉澤陽太郎氏で当時NHKアナウンサー。朗読というものに一家言を持ち、芸術家・文化人へのインタビューも得意としていたようだ。
Photo_20191102070502 (中西進氏)

私も「司馬遼太郎を語る会」で、間もなく8年を経過する。この間に自然に司馬の作品を多く読むことになった。でもこの放送を録音した頃は、『街道をゆく』のほかには司馬作品を多くは読んでいなかった。
だから、ここでの5作品をすべて読んだ今の方がむしろこの録音を聴くのにふさわしい。なお、この後にも書くが、5作品のうち『空海の風景』『草原の記』は、とりわけ中西進氏の評価が高い。
そこで司馬作品に長く親しんできた人にこの番組の内容を、テープ起こしの文章―これは思いのほか大変な作業であった!―でだが紹介したい。

取り上げられた作品と朗読された部分
長くなるので、その一部のみここに挙げよう。作品を実際に手に取って味わったらいいと思う。読まれたページを参考に示そう。
①『竜馬がゆく』の冒頭「門出の花」以下いずれも文庫P9~P13
「竜馬が、いよいよあす発つときいて、城下本町筋一丁目の坂本屋敷には、朝からひっきりなしに、祝い客ががつづいている。」幼時の頃の竜馬の品評―父、兄のそれは決して良くない―に対して、姉の乙女は一貫して竜馬を買っている。

②『この国のかたち』の第一章「この国のかたち」P9~P12
「― 日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている。と、私が尊敬する友人がどこかに書いていた(正確に引用したいのだが、どの本にあったのか、記憶にない。だから著者名もさしひかえざるをえない)。この場合の思想とは、他の文化圏に入りこみうる ― つまり普遍的な ― 思想をさす。古くは仏教や儒教、あるいはカトリシズム、回教、あたらしくはマルキシズムや実存主義などを念頭においていい。」

③『空海の風景』第14章 P324~P327
「大唐の長安、延康坊、西明寺。空海はここに住み、日々、町に出てはここに帰る。かれはたしかに日々、町に出たであろう。青と丹にいろどられた長安の殷賑は、人類の宝石のようなものといっていい。」

④『草原の記』P64~P69
「さきに、私にとってモンゴルは気体のようで、容易に固体にはなってゆかない、とのべたが、これらの都市景観もまた気体でなくもない。
モンゴル人は、心から草原が好きなのである。モンゴル人は、心から草原が好きなのである。遊牧が気に入っていて、ウランバートルにいる官吏や学者も、夏になると、野馬のように草原へ駆けだしてしまう。夏を包(ゲル)ですごすのである。富裕なひとほどそういう欲求がある。」

⑤『街道をゆく』の未完「濃尾参州記」「蜂須賀小六」P64~P68
「名古屋は江戸時代から医者どころである。それにしても、桶狭間へは鶴田三敏医博に案内してもらい、三河の松平郷にはその学友の船橋利彦医博に同道してもらおうとは、果報なことだった。」

以上①②③④⑤だが、どうも中西進氏が『空海の風景』と『草原の記』こそ!と、この2作品は特に選んで容れたようだ。

さて、この番組「新春朗読への招待」は、朗読するのはNHKアナウンサー等なので、申し分なく楽しめるが、番組中で中西進氏が語る司馬遼太郎に対するオマージュもう一つの味わいであると思う。それらを書いておこう。これがこのBlogへの投稿の意図である。
いつまでも司馬遼太郎でもなかろうという雑音が仮にあっても、これに抗して司馬作品を読み続ける勇気を与えられるものだ。

中西進氏による司馬遼太郎の評価
聞き手との掛け合いにそれが縦横に語られている。
(杉澤)
中西さん よろしくお願いします。
司馬さんが亡くなられてから10ヵ月余りになりますけれど、これほど亡くなってからのブームといいますか、特にレクイエムですね、大勢の方が追悼文を書いていらしゃいますね、珍しいことではないでしょうか。
(中西)
葬儀に参列しましたけれど、あらゆる階層の人が、あらゆる年齢の人が集まりまして、それがとても象徴的でしたね。これほど国民のだれからも愛されるという人は他に見当たらないんじゃないでしょうか。
(杉澤)
よく国民的作家といういいかたについては、はたして司馬さん自身はどう思っていられたかともいわれますが、中西さんはどうお考えですか。
(中西)
いや私は満足だったと思いますよ。何しろ日本をあんなに愛していたから。優しみのある人、心の優しい人でやはり人間大好き。そういう人たちから称賛されてそういう人たちに囲まれて死んでいくというのはよかったと思いますよ。
(杉澤)
中西さんはこれだけ膨大な作品の中で『空海の風景』あるいは『草原の記』というところに非常にヤマ場というか凄いなとおっしゃっておられるが、そこに行くまでにこれだけ大勢の人に読まれたというのはやはり面白いということが前提にあるのではないですかね。
(中西)
独善的でないんですね。独善的でない。皆の心に分け入って、染み入っていくものを持っていた。それが面白いという共鳴体を感じさせるのではないか。

『竜馬がゆく』の朗読に続いて
Photo_20191102070501
(杉澤)
この最後のところですね。「竜馬が目を細めているとき、この少年だけがわかる未知の世界を遠望しているようにしかみえない。」という桂浜の銅像とオーバーラップしているような気がします。
(中西)
司馬さんの文章ってのは、いちいちが深い意味がありますね。
僕らは、鼻たれ小僧ではない竜馬を知っているわけでしょう。まさに遠くを見て、未知の世界を見ているのを知っているわけですね。そういう者から読むと全部の一つ一つの表現が、これは単に目のことを言ってるのだが、彼の精神のことを言っているとか分かってビンビン響いてきますよね。
朗読を聴いていて面白いなと思ったのは、駿馬か猫かという二項対立みたいなものをいつもチラつかせながら、人間をとらえてるでしょ。もう駿馬だと思ってしまうと人間面白くない。もちろん猫でも面白くない。
駿馬でありながら猫である。猫でありながら駿馬である。そういう人間を見る目。これは、司馬さんの人を見る目じゃなでしょうか?と小説の主人公をいつも立てていく。
(杉澤)
司馬さん、たくさんの歴史上の人物をお書きになっていらっしゃるわけですけど、司馬さんが書きたいと思った人間、あるいは、なぜそうした人を書こうとしたのか。
(中西)
私は、そこに熱い思いがあるように思いますね。やはり司馬さんはどこかで百姓の子っていうことを自分で言っておられるが、土着性のようなものね、大地に着いて、土着性ようするに一般的な平凡な人間という基盤がひとつありますよね。だから、それが無い人は司馬さんは関心を持たないのだと思います。例えばエリートとか、あるいは頭でっかちな人。
どんな偉い人でもどこかに心の中に暖かい人間性を抱えているひと。そういう人がいつも追求されていた。
特に初期の作品はそうではないでしょうかね。明治をめぐる群像なんかを書こうというのは、この国の近代の原点を作った人たちをマスというか集団として捉えようとする。ただ単なる個人ではなく、日本にも根差し、時代にも深くかかわっている、そういう人たちが書きたかった。ようするにおのれを語りたかったのでしょうけどね。
(杉澤)
でも読んでいるといつも根底に司馬さんがいて、なにか執念というか怨念のようなものをもってずっととらえているような気がします。やはり戦争体験みたいなものが根底にあるでしょうか。
(中西)
そうですね。彼のいうところによると戦車隊の将校で何かおもちゃのような戦車で終戦を迎えて、こんな馬鹿げた戦争にいったいだれがしたのだということがあって、それから日本という国を考え、人間そのものを考えるということになりますよね。
その戦争を起こした近代日本の原点が明治だというので、その明治の前後の今のような坂本竜馬、土方歳三いうような人たちがでてくるわけでしょうね。
本当に典型的な戦後日本の命題を一身に背負っている作家。だからこそ国民的に皆が関心を寄せるということになるのではないでしょうかね。こんなに誠実に戦後生きた人って、作家として、ちょっとこれは当り障りがあるかもしれないけど、いないのじゃないでしょうか。
(杉澤)
片方で小説として書いていくわけですけど、同時に『この国のかたち』とか『風塵抄』などの随筆、対談も含めて、実に多種多様な挑戦していらっしゃいますね。
(中西)
そうですね、ご自分自身がそうでね、私なんか彼は大変な学者だと思いましたよ。よくご存知だし、調べてもいるし、もののアプローチの態度も実証的ですし、スケールの大きな人でしたね。この人は。
(杉澤)
私達、朗読する立場で言いますと、読んでいきますと小説も随筆も文体が殆ど変わらないというふうに感じるのですが、この辺り如何ですか。
(中西)
私もそうだと思いますね。つまり小説はこうだよというふうな、まあ作家だと言われますからね、作家が本業だとするとその本業の作家の書く小説を全部文体を決められたものから崩してますね。
小説ってフィクションですからね。「私」なんていちゃあいけないんだけれどそれが入りこんでいきますしね、そうすると随筆に似てきますでしょう。
そういう意味ではすべての表現を自家薬籠中のものにしてね、世界をつくりあげたということでしょうね。

『この国のかたち』の第一章「この国のかたち」の朗読に続いて
2_20191102070401
(杉澤)
ところでいまの出だしのところでも分かるんですけれども、司馬さんの文体って私達が面白いなと思って読んでくると「しかしここではそういう事を言おうとしているのではなく」といったように一発で転回してきますね「さて何々のことである」というふうに歯切れがいいですね。
(中西)
歯切れの良さといえば、いまは聴いているのだけど、読んでいると改行が多いでしょう。行を変える。これが司馬文体のこつだと私は思っているんですが、だらだら長くならない。3、40年教師をやっているが、ちかごろ学生のレポートがどんどん長くなるんですね、段落が。それは汚い表現だが、まるで“よだれ”を垂らすような締まりがない文体ですよ。
それと反対ですね司馬さんの文章は。簡潔で歯切れの良さがある。これは、彼の思考の明晰さによるものだと思いますね。司馬さんというのは非常に明晰な人ですから。どこにもあいまいに言いよどんだり隠したりはしない。日常の会話をしていてもそれが無い人だ。頭をクリアーにしていて、しかも前向き前向きに働いているのではないかしら。陰りとか疑問をもつと濁るでしょう?それがないですね。今も変ると仰られたが、そこでためらっているのではなく言いたいことを言う。いつも積極的に熱が入っていく。そういうものをどんどん提供していく。ここはこういうことを喋っちゃいけないということは考えない。
(杉澤)
考えないんですね。これは中西さんがお書きになっていらっしゃることなんですが、ある場合はストーリーであったり、人間像であったり描写の巧みさであったり知的刺戟であったり。と中西さんお書きになっていらっしゃいます。この辺りもいま読んだあたりも、歴史の切り方とか新鮮で知的刺激を受けますね。しかしだけど根底に司馬さんがなにか別のことを語っている。もう一つ司馬さんがいるという感じがするのですけど。
(中西)
明晰さということに関係すると思うのですね。
つまり日本文化とはこうだ。思想はこうだといったが、ドイツ人に言ったら美学的なことに置き換えて慰めてくれた。これ美学だよとひとついうんですね。こんなことがぱっと言えるのはすごく頭のよいひとだと思うんです。そういう常に明晰にものを判断しながら書いていって、それが歯切れの良さにもなるだろうし、司馬さんが自由に顔を出してくるということではないでしょうか。
(杉澤)
さて、そろそろ、司馬さんではないですが「さて」、中西さんの『空海の風景』と『草原の記』こそと言われる本論に入りましょう。
(中西)
これやっぱり私はねぇ『空海の風景』を書かなければ、司馬さんは、まあ大変失礼だけれども司馬さんは一流の超一流の作家ではなかったという気がするんですね。また『草原の記』のような眼を持っていなければそうじゃなかったと思うんです。そういう意味で是非これを聞きたいですね。
(杉澤)
まず『空海の風景』からお聴きください。空海が長安に行って街の風景が書かれているところですね。

『空海の風景』の朗読に続いて
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(杉澤)
いま聴いたところでも、ある意味では大変きらびやかだし、仰るように凄い学問を裏に背負っているしという充実した文章ですね。
(中西)
そうですね。特に今取り上げていただいたところが、長安の雑踏の風景ですからね。まさにそういう渾然とした混沌の逞しさのような未知の魅力っていったようなものが一杯詰められているところでねえ、司馬さんの世界をよく表しているところだと思いますけども。
私ね、さっきから『空海の風景』がいい、いいって言っておりますのはね、どういうことかと言いますとね
この『空海の風景』に、司馬さん珍しく長い「あとがき」を書いているんですね。その「あとがき」のなかで何を書いているかといいますと密教のことを書いているんですね。
今も、理趣経を密教の主要な経典にしたと出てきましたけれど、その密教というのがあるわけですね。秘密の密。これは顕教と対立した考え方なんだけれど、司馬さんはそれをひとつの風の理解の仕方によって書いてましてね。その顕教的なものの理解は、例えばそれを冷たいなとか、痛いなとか感じるとか、それを速度で考えるとかそういう取り方だと。
ところが密教というものはそうじゃない。密教というものは宇宙の全体的な原理そのもの、例えば風の元、風の根源である宇宙の普遍的原理の体内に入り、原理そのものになり果ててしまうこと。これを密教は目的としている。
というんですね。
この宇宙感ですね、つまり森羅万象、風でも雨でも、そういうものをとおして宇宙をみようというのが『空海の風景』の基本になっている。すべてのものが拒否されることなく入りこんでくるわけですね。今の雑踏もそうですね。例えば西域の胡旋舞なんてものがありましたけれど、ああいうエキゾチックなものもどんどん取り入れてくる。そこにいろんな人種の人がいるけれど、それを差別しないということがいま朗読の最後にありましたよね。そう言った世界というものが、これは宇宙そのものですから受け入れてしまう。いや受け入れるのではなく宇宙そのものになってしまう。
司馬さんて私小説を書かなかった人でしょう。
私小説の伝統というのが、日本の小説の伝統ですよね。
男女が恋愛をしたとか、どのように溺れていったとか、どのように身を滅ぼしたとか言ってれば自然主義的私小説が出来上がるわけですよ。でもそんなものは世界に通用しない。だからやっぱり小説ってものはあるひとつの非常に都合よくつくりあげた世界の中で、人間ってこういうものだ、宇宙ってこういうものだということを訴えるあるいは透視する眼をもっているから作家ていうのは偉いわけですね。我々に感動を与えたり、勇気を与えたりするでしょ。ですけれど、日本の作家はそれをわりあいやらない。私小説ばかり書いている。そのなかでこの人は、そういうものを一切書かないでこういう『空海の風景』に到達するような宇宙観というものを持って書いていましたね。
でそれは、例えば『竜馬がゆく』でも『坂の上の雲』でも、まあそうなんですけどね、しかしまだこれは、たいへん口はばったいけど、ちょっと幼稚だと思うんです。私は。あるこの人間ドラマみたいに捉われていると思うんです。それを突き抜けてない。ところがこの『空海の風景』になりますとね
突き抜けた、世界そのものが無機質といいますかね、人間は有機質でしょう、そうではなく無機質になってしまって宇宙をつくりあげているひとつの要素のようなものになっている。動いている。そういう世界を見ようとしていますね。
我々はそんなことは一切飛ばして、読めば、じかに対面しちゃうわけだから
感動という格好でそれを受け取るんですけどね。そうなっている。
だから『空海の風景』の“風景”という言葉はものすごく味わいがある。考えている。そういう言葉だと思うんですよ。
(杉澤)
じゃ、わたしたち読んでると、いま長安に、空海と橘逸成がいますけど、 司馬さんもいるかな?という感じがするんですけど、そのクロスオーバーの仕方はどうなっているのですか?
(中西)
それはやっぱり時間を超えるということでしょうね。現代の司馬さんと空海や逸成のいた平安時代の初期というのは違うわけですね。もう何百年も違う。
そういうものを平気で一緒にしてしまうということにおいて、これは歴史小説ではない。過去のある一つのことを語っているのではなく、我々のことを語っているのだという主張になりますよね。
そうだそうだ、いまその歴史小説というのを思い出したけれどね
この間ある雑誌社で、貴方は歴史小説の中で何が好きですか?というアンケートが来たんですよ。時代小説だったかも。そこに司馬さんの名前もあった。そのことを人に聞くと、当たり前だよといわれた。しかし当たり前というのは取り扱った素材で区別してるんでしょう。明治時代とか、平安時代とかそれは歴史的な昔であるとかという。
そこで私があっと思ったのは、司馬さんが歴史小説作家なのか?違うんじゃないか?と現代小説の作家ではないか?ましてや時代小説作家とはとっても言えない。吉川英治は時代小説の作家ですよ。森鴎外は歴史小説を書きましたよ。だけどこの人はそういうものを書いていないという気がしますね。ちょっと難しい話になっちゃたかな。 
(杉澤)
いえいえ。
『空海の風景』は小説ですけど一方『草原の記』をとおっしゃるのはどうしてなんですか。
(中西)
それもね『草原の記』というものが、宇宙を見晴るかす草原なんですね。
そっちの話に入ってしまうけれども

※この辺り時間を気にする杉澤氏の誘導で『草原の記』に移らされたと感じたか、中西氏は『空海の風景』をまだ語りたかったように聞こえる。

『空海の風景』に到達をするのは、現代の司馬さんがいて時間を遡っていった普遍性ですね。『草原の記』というのは司馬さんは日本にいて、モンゴルの草原という空間的な彼方というものですね。だから時間も空間も非常にはるかなところにいて、で、さっきおっしゃったその遠くをみる眼というまさにそれですよ。竜馬のなかにも、未分化にあるものが『草原の記』にもあり『空海の風景』にもあって、それがひとつの到達点だと思うんですね。
(杉澤)
それでは『草原の記』の一部分を読んでもらいます。

『草原の記』の朗読に続いて
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(杉澤)
本当は、全文を読むのがいいのですが・・・
(中西)
そうですねえ。
あの言葉遣いというか、文章について、私は内容ばかりを話して、触れなかったが、司馬さんの原稿をご覧になったことはありますか。
(杉澤)
いいえ
(中西)
ものすごい修正です。ずうっと全部消したり、色鉛筆で書き換えるとか大変なんですよ。推敲に推敲を重ねているんですね。
それでいま聞いたように流れるように聞こえますでしょう?あんなふうに直し直ししていたらゴツゴツ・ゴツゴツするかと思うが、そうじゃないんですね。
何を心掛けていたかというとリズム、メロディーとかいうような音楽性を目指した文体ですね。それが魅力の一つなんでしょうね。
(杉澤)
私どもが読んでますと、書いてある文章はたしかに共通語なんだけれど、読んでいますと大阪弁のような気がしてくるんですよ。
(中西)
それは気が付かなかったが、もしそういうことであればあの人は根っから大阪を愛した人だし柔らかさがあるのかも知れない。言葉遣いも柔らかいし、人間性としてもやわらかい。
(杉澤)
あの、中西先生がよくおっしゃる表現というものですけれど、私達は言葉が大事だと思うんですが、実は言葉というものはその辺にある葉っぱのようなものだと中西先生おっしゃったことがあります。
(中西)
ああ葉っぱね
(杉澤)
「こと」にしないといけないのかも。「こと」とおっしゃってます。
(中西)
それはやっぱりそうだと思いますね。「こと」というのは、文章とか、叙述とか、述べるというんですね。そこにはひとつの思想がありますよね、意味がありますね。ただ単語だけ言ってたのでは体系もないし、こころざしが述べられませんね。このひとが、言葉ではなく「こと」を中心にした文体だということは確かに言えると思います。
その思想ついてですが、『草原の記』は、草原を原点として考える。しかも気体が好きだという。気体のような精神。広がって、無碍で全部を包括する。司馬さんの文体にもなるし小説にもなってるんでしょうね。
(杉澤)
日本人でありながら、なにかモンゴルがふるさとであるようなところが司馬さんにあるようですね。
(中西)
それはモンゴル語を学んだというだけでなく、精神そのものが自由なんじゃないでしょうかね。 
ものを反対に見ようとしていることもあるでしょ。つまりモンゴルは漢民族と戦ったわけでしょう。今までは漢民族が正しくてモンゴルは悪いとされていたじゃないですか。ところが逆なんですね。
モンゴルは、せっかく遊牧生活をしているのに、漢民族はどんどん農耕して 草をはがしちゃう。それは適わないからと押し返していくと悪者みたいに扱われる。というふうに『草原の記』で書いていますね。
すごいやっぱり弱者、陰のほうに立つ立場をいつも忘れないですね、この人は。
(杉澤)
わたしたちとすると深く読み込んで、司馬さんが何を終始追いかけているかという骨格を中西さんのおっしゃるように「こと」にしていかないといけないだろうと、朗読ってそういうものだと思うんですけどね。
(中西)
しかも、それと、追いかけていたものは気体だと思います。空気のようなものね。
(杉澤)
難しいですね。
(中西)
だからそこにあることを感じさせないような・・・まあ朗読でいえば、私はわからんけども、朗読だってことを感じさせない語りでしょうね。気体のような語りというのは。
(杉澤)
そうですね。『草原の記』にも現代の道案内人のような方が出てきますね。絶えずこう本当に様々なものが組み合わさるわけですけども自由自在ですね。
そういう意味で『街道をゆく』が全部で43巻書かれてますが、ここには様々な道案内人の方が出てきますね。自由自在に書いてらっしゃる。
その最後の第43巻「濃尾参州記」の一部を朗読で聴いていただきます。

『街道をゆく』「濃尾参州記」の朗読に続いて
2_20191102070501
(杉澤)
ここでも、ほんとうに文章の転換がみごとにありますね。
(中西)
非常に飄々としているというのか、こだわりがないといいますか、なんか楽しんでますよね。この人って、典型的に明るくって、人々に勇気を与えて次へ次へと引っ張っていってくれる。
私ね、この『街道をゆく』という仕事はどういう意味を持っているのだろうかと時々考えるんですよ。
司馬さんのエッセイって、さっきの文芸春秋『この国のかたち』そして産経新聞『風塵抄』、週間朝日の『街道をゆく』がありますね。やはり3つ大きなエッセイが柱としてありますね。それぞれどう違うんだろうと思いますね。
『この国のかたち』というのは、やはりまさに日本というもので、この国の行方を心配していましたというのが未亡人のおっしゃったことですが、この国のことをわりに軽い形ではあるものの、かなり深刻にアプローチしようとしましたね。例えば「統帥権」なんていうものが、非常に勝手に、天皇を中心として日本に出来たんだということを『この国のかたち』では拘っておられる。わりと真面目な力のこもったエッセイだと思うんですね。
それに対して『風塵抄』というのは、もっと身辺雑記的な、軽い、生の声が、例えば風邪をひいたとか、猫がどうだとかいう話なんですね。もちろんそれは司馬さんの周りにある陽だまりのようなものを感じさせる仕事だと思うんですね。 
それに対して『街道をゆく』というなにか『街道をゆく』というのが、このひとの歴史小説と並ぶような大きな仕事でしょう。43冊ね、ずうっとあって、43冊目は少し薄かったけれども、かなり他のものはボリュームがあって、しかもオランダに行ったりニューヨークに行ったり、日本でもいろんなところに行ったり、ほんとに各地に飛んでなさるわけですよね。で、これはいったいなんだろうということを考えるのだけれど、ここに出てくる言葉で言えばその土地土地というものが表現を持っている。その表現を訪ねる。そういう仕事がね、この『街道をゆく』という仕事じゃないかと思うんですよ。
例えばここで言えば、蜂須賀小六が中心の話題でしょ。蜂須賀小六が、日吉丸と一緒に泥棒に入ったていうんですか、そういう話ですよね。で、まあ娯楽として語るがというふうにちょっとこの独特のスタンスをもってね、それがまた絶妙なんだけれども、そういうものを持ちながら、この土地には、こういう伝説があるという土地の表現ですね。よそから来た人はその表現に接するわけでしょ、言葉に接するわけですね。そういうものをずっと汲み取っていったという気がします。
それはやはり「風土記」の流れを汲んでいるのではないかと思う。「風土記」にはダジャレのような地名がずっとあるが、みなダジャレかと思うが、そこに込めた地名に対する暖かい信仰、感受性とかいうものがたくさんあるわけですよね。
そういうものをもういっぺん現代の語り部になって復活して行こうという、だからやはり大地というものをこの人は愛してますね。日本の大地というものを。それが基本にあるから高くそびえるんじゃないですかね、しっかり足がついているから。そんな風に思いますね。
(杉澤)
司馬さんは、まあ小説でもそうですけど、理想主義というのがあまりお好きでないですね。非常に現実をしっかり見つめた現実主義ですね。
(中西)
それでいて理想が高いんですね。理想を目指しているが、高踏的にならない。それがこういう街道というものに拘ったものかも知れませんね。
すべての道はローマに通じるって言うでしょう。ものを運ぶものが道。道を通して人々の心が通う。古いもの、例えば「万葉集」でも、街道筋に歌が残されているんですよ。山奥なんかにないんです。つまり道は人間と人間を繋ぐものなんですね。非常に重要なものですよ。国家で一番大事なものは、血管みたいな道なんですね。
(杉澤)
中西さんいつもおっしゃるように、大和言葉を見直し大事にしないということにもつながってきますね。
(中西)
この国の言葉ですね

(杉澤)
どうもありがとうございました。

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コメント

たいまつ(第九号)から、和田恵理子≪『万葉集』と古代歌謡≫

メールで「司馬遼太郎を語る会」の斉藤代表に『たいまつ第九号』の送付を依頼し、既に落手しました。先日付の5月9日発行の「司馬遼太郎を語る会」会報のことである。

寄稿者の皆さんの力作ばかりが満載されています。 そのなかで、和田恵理子氏の≪『万葉集』と古代歌謡≫に魅かれた。

司馬遼太郎と元号・令和の考案者中西進氏の交遊関係はどこにあったのかと思っていたが、分からないままであったので、こんなところにあったのかと納得が行った。

司馬遼太郎が関わるテーマ≪『万葉集』と古代歌謡≫の座談会で、参加者は上田正昭、金達寿、土橋寛、水野明善等の碩学ばかり。まず水野氏が、中国との関係では、美術史でも文学でも実証的な研究が進んでいる。その例として万葉集研究をあげ、中西進氏の比較文学について立派な業績があると語る。

前記座談会の眼目は、中国の影響は色々研究されているが朝鮮半島の影響を扱った研究が少ないのはなぜかということだったようである。座談会はのちに『日本の朝鮮文化』(中公文庫)にまとめられたが、あとがきに 金達寿が、「山上憶良渡来人説」の詳細を模索していて、中西進氏に電話で教えを乞うと、快諾し「憶良帰化人論」の資料を即刻送られた由。

さらに和田恵理子氏が投稿後に読売新聞のシリーズ「時代の証言者令和の心 万葉の旅 中西進24」に興味ある話を見つけ追記している。

中西進氏は、日本書記に記述される百済からきて天智天皇の侍医になった憶仁が憶良の父ではないかと考えたところから「憶良渡来人説」を立ち上げた。憶良の底流にある「悲しみ」は祖国を失った渡来人だったからではないかと。

「憶良渡来人説」は清水の舞台から飛び降りるつもりで発表したが、結果は特に歴史学者から批判され四面楚歌状態だった由。そのなかで唯一応援してくれたのが司馬さんだったと。

中西進氏の述懐のようだが『司馬さんはものの考え方が柔軟で、ことばも面白くとても触発されることが多い存在であった。』と書いているそうだ。

さて私が、中西司馬関係を知りたいと思ったのは、この≪栗岡健治の談話室Ⅻ≫「令和」の“考案者”国文学者の中西進氏による司馬遼太郎へのオマージュ を書いたことがきっかけである。

前記の中西進氏の述懐とまったく同じことが、この内容―まさにオマージュ―にも通じる。

和田恵理子様 ネタバレの如くご投稿の内容梗概を洩らしてしまってごめんなさい。

湯川です
FBに書き込みましたが、こちらにも残します。

貴重な番組の文字起こし、大変な作業だったかと。お疲れ様でございました。
胸に染みました!
私の50年の司馬小説ファンとして出会った人々の考察ですが、空海や草原を推す人は世界観と人生観が違います。我々一般庶民は、その超一流な到達地点には一生辿り着かないであろうという感想です。
批判ではなく、やっかみです。
実に羨ましい!
司馬遼太郎の一流部分で十分に満足している者より(笑)

この投稿は、私が遥かなむかしに録音したNHKラジオ番組「新春朗読への招待」をテープ起こしして書いたものであるが、結構反響を感じる。

私が、何気なく聴いてみるとなんとゲストが【令和】の中西進氏であった。

そして、司馬遼太郎へのオマージュは、最高の賛辞に満ち溢れているが、《これやっぱり私はねぇ『空海の風景』を書かなければ、司馬さんは、まあ大変失礼だけれども司馬さんは一流の超一流の作家ではなかったという気がするんですね。》ここまで書く。

...
更にこんなこともある。《でそれは、例えば『竜馬がゆく』でも『坂の上の雲』でも、まあそうなんですけどね、しかしまだこれは、たいへん口はばったいけど、ちょっと幼稚だと思うんです。私は。あるこの人間ドラマみたいに捉われていると思うんです。それを突き抜けてない。》

絶賛された『空海の風景』であるが、朗読の「大唐の長安、延康坊、西明寺。空海はここに住み、日々、町に出てはここに帰る。かれはたしかに日々、町に出たであろう。青と丹にいろどられた長安の殷賑は、人類の宝石のようなものといっていい。」
これを私も好きだと言ったり書いたりしたが、この番組の朗読が発端であったかもしれない。そしてこの出足部分は、軽々と展開していく感じに思えるのだ。あるいは畳み込んでいくといったほうがいいのか?
長安百十坊の地図を見つつ、西市近くの延康坊を確認し、西明寺・・・(朗読で)聴いていくと国際都市長安が眼に浮かぶ。
中西氏の《何を心掛けていたかというとリズム、メロディーとかいうような音楽性を目指した文体ですね。それが魅力の一つなんでしょうね。》の体現されたところがこれではないかと納得する。
最後に、これは中西氏に聞きたいが術はない。『韃靼疾風録』をどう思うか?
私は『空海の風景』『草原の記』の伝で、『韃靼疾風録』も評価されると思うがどうか?

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