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2010年12月14日 (火)

「坂の上の雲」を読む(12月例会報告)

 12月5日(日)、第17回「司馬遼太郎を語る会」が東久留米市生涯学習センターで開催された。今年最後の例会は「坂の上の雲」がテーマであった。ちょうどNHKで放映中ということもあり皆、深い関心を持って聞き入った。この作品は昭和43年4月から産経新聞夕刊に連載されたもので、日本の経営者やビジネスマンが選ぶ作品の中ではいつも上位にランクされる。二十世紀最大の人気小説といえよう。ここでは卓話者のレジメをもとに例会の模様を紹介する。(写真をクリックすると拡大します)Photo 

 主人公は「楽天家達」と言われる三人である。「日本騎兵を育成し、中国大陸でコサック騎兵と死闘をくりひろげた秋山好古、東郷平八郎の参謀として作戦を立案し日本海海戦でバルチック艦隊を破った秋山真之、病床で筆をとり続け近代俳諧の基礎を築いた正岡子規」を中心に、明治維新を経て近代国家の仲間入りをしたばかりの「明治日本」を日清戦争、日露戦争を通して描かれている。

 卓話者は3つの側面から語った。
<テーマ1:明治維新後の国造り>
「明治の庶民にとってこのこと(徴兵)がさほどの苦痛でなく、…明治国家は日本の庶民が国家というものにはじめて参加しえた集団的感動の時代」
「近大国家をつくりあげようというのがもともと維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。少年どもは食うものも食わずに三十余年をすごしたが、はた目からみるこの悲惨さを、かれら少年たちはみずからの不幸としたかどうか。」― 国家を造る気概があった、ということであろう。

<テーマ2:日清戦争>
明治二十七年(1894)、朝鮮国内の農民大衆の反乱(東学党の乱)をきっかけに、六月朝鮮に出兵した日清両国が宣戦布告(平壌の戦い、黄海海戦、威海衛海戦など)、戦後下関条約を締結(陸奥宗光、李鴻章)
「ロシアは十八世紀以来、満州、朝鮮を自己の支配下におこうという野望を持っていた。隙あらば、日本を占領し支配したがっていた。これに対し、日本は対露恐怖を感情で脅え、反感を持っていた。…外国から侵略されるかもしれないという恐怖が明治維新をおこし、海軍をもつにいたった」
「日清戦争は、天皇制日本の帝国主義による最初の植民地獲得戦争である」との主張に対して司馬遼太郎は「日本という国家の成長の度合、近代ナショナリズムなどを明かにしなければ日清戦争の本質を解くことはできない。日本は開業そうそうだけにひどくなまで、ぎこちなく、欲望むきだしで、結果として醜悪な面がある」
「日清戦争は老朽しきった秩序(清国)と新生したばかりの秩序(日本)とのあいだに行われた大規模な実験の性格を持っていた」

<テーマ3:日露戦争>
日露戦争は「どちらがおこしたか、という設問はあまり科学的ではない。しかし強いてこの戦争の戦争責任者を四捨五入してきめるとすれば、ロシアが八分、日本が二分である。ロシアの八分のうちほとんどはニコライ二世が負う」
「この作品は、小説であるかどうか、じつに疑わしい。ひとつは事実に拘束されることが百パーセントにちかいからであり、いまひとつは、この作品の書き手―私のことだーはどうも小説にならない主題をえらんでしまっている」
明治三十七年(1904)国交断絶、宣戦布告、旅順港閉塞作戦、広瀬中佐戦死、黄海海戦(東郷平八郎)、旅順総攻撃(
_0002二〇三高地、児玉源太郎)、水師宮(ロシア降伏)、奉天会戦、本海海戦(敵艦見ゆ、T字戦法、秋山真之の「七段構えの戦法などが描かれている。(左写真は秋山真之)
「緻密さと周到さという点において、古今東西のどの海戦史をみてもこのようではない」
明治三八年九月ポーツマス条約締結(小村寿太郎、ウイッテ)、日比谷焼き打ち事件

 この小説には3万人が登場するという。陸奥宗光、小村寿太郎、山県有朋、大山巌、山本権兵衛、児玉源太郎、乃木希典、広瀬武夫、明石元三郎、クロパトキン、ロジェストウェンスキーなどなど。魅力的な人物が多い。 _0001
 
 卓話者は最後に「何が人を感動させるのか」について、著名人の言葉を引用する。
「秋山兄弟を通して、新しい時代に立ち向かう明治人の不屈の志が描れている」
「この作品が国民の圧倒的な支持を受けた理由は、国民が飢えていたものを司馬遼太郎さんが配給し、教育してくれたからだろう」
「歴史が単なる偶然の積み重ねではなく、それを動かした人間の不思議なまでの相関によって織りなされた作品であることをこの「坂の上の雲」は描きだしている。秋山真之、秋山好古、正岡子規、夏目漱石という今から百年前を生きた同世代人たちが、それぞれの人生に立ち向かいながら、驚く
_0003ほどの因縁をひきずり、相互に触発しながら「坂の上の雲」を見つめていた時代に圧倒される思いである」
「主人公として秋山好古と真之という軍人と正岡子規という文化人を同じ舞台に載せて…。三人は松山出身。特に親友だった真之と子規の交流は日本の幕明けの時代における青年たちの熱い情熱と志を伝えてくれる。」

 司馬遼太郎は「坂の上の雲」を書き終えてとして次のように語っている。
「坂の上の雲」にいたっては三人の主人公らしき存在以外に数万人以上とつきあった感じで、その意味では作者は寒村の駅長にすぎず、つぎつぎ通りすぎてゆく列車たちに信号を送ったり、車掌から物をうけとったり、列車の番号と通過時間を書類に書き込んだりする役目にすぎなかった。…ともあれ、機関車は長い貨物車の列を引きずって通りすぎてしまった。感傷だとはうけとられたくないが、私は遠ざかってゆく最後尾車の赤いランプを見つめている小さな駅の駅長さんのような気持ちでいる。

 参加者からもいろいろな感想が出された。101205_1 (右写真は例会の様子)
「乃木希典を愚将としているが、作品発表の時点では相当な勇気がいったのではないか」
「戦争小説というのに正岡子規が主人公の一人というのは…、それに早々と小説からは退場するし…」
「広瀬中佐の話はよく聞かされた。歌もよく覚えている」
「日清、日露戦争の背景・とらえ方はこれでいいのだろうか」
「司馬史観についてどう思うか」
「司馬さんは暗い昭和への抗議のつもりでこの小説を書いたのだろう」
などなど。この日も昼食懇親会で語り合いは続いた。

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コメント

プログを読んで、一点気になったので

>>「戦争小説というのに正岡子規が主人公の一人というのは…、」

『坂の上の雲』は、断じて”戦争小説”ではなく、明治とその時代の日本がテーマであり、明治の若者の気分を書いた小説だと言われています。

『街道をゆく 南伊予・西土佐の道』の冒頭に、正岡子規のことを書いてあり、『坂の上の雲』を書いた動機は、正岡子規の想いからであると言っています。

若輩ながら、すこし発言させていただきました。

小説は、作者を離れると読者のものですので、あくまで、参考意見です。

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