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2014年6月12日 (木)

「生きている出雲王朝」と「砂鉄のみち」(7月例会のご案内)

「司馬遼太郎を語る会」からのご案内です。

今回は古代出雲に舞台は移ります。387(右写真:出雲大社)
出雲は国づくりにどのような役割を果たしたのでしょうか。
そして、出雲と鉄はどのような関わりがあるのでしょうか。
折しも、高円宮典子さまと出雲大社神職千家国麿氏が婚約されました。
日本人のアイデンティティを考える上でも欠かせないテーマに違いありません。

奮ってのご参加をお待ちしています。

日 時:7月6日(日)10時~12時 

場 所:東久留米市立「まろにえホール」
 (東久留米市中央町2-6-23、
042-473-7811)

テーマ:「生きている出雲王朝」と「砂鉄のみち」

卓話者:松 本 冨 士 朗 氏

参加費:300円

「高天原にいた天照大神が、皇孫ニニギノミコトを葦原中国に降臨せしめんとし、まず、タケミカズチノカミ、フツヌシノカミの二神を下界にくだして、大国主命に交渉せしめた。大国主命がナカツクニの帝王であったからである。そのころの日本は、想像するに、大国主命を首領とする出雲民族の天下だったのであろう」(司馬遼太郎『生きている出雲王朝』)(右写真:荒神谷遺跡にて)894

「このおそろしく汚いものをつくる技術が、古代最高の技術だったタタラというものであり、さらにいえば、人類は大地の砂鉄を集めてこの鉧(ケラ)をひねり出したところから、文明を飛躍させてしまったのである」(司馬遼太郎『街道をゆく~砂鉄のみち』)

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問い合わせは時空の旅人へ:0712shibaryo@gmail.com

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コメント

栗岡です。
7月6日(日)に開催された松本冨士朗氏の卓話「生きている出雲王朝」と「砂鉄のみち」
に大家さんが来ておられた。大家さんが参加する司馬遼太郎記念館主催のツアー『街道をゆく 愛蘭土紀行』が、2014年7月7日~16日と記念館会誌の案内で見ていたので私が「あれ?大家さんアイルランド出発は明日ではないですか?」というと『そうです明日です。ただ、今日の卓話の内容も興味・感心があるものですから。』「そうですかご熱心なことで。では明日からBon Voyage!また様子を聞かせてください。」『ありがとうございます』
今日は、7月12日 アイルランドの旅も佳境に入っていることでであろう。「街道をゆく」の場を実体験できることはとても素晴らしい。ただ現下の日中関係であり「江南のみち」に続いて蜀・雲南や閩のみちを訪ねようと思っていたがそのままになっている。来月は、「壱岐・対馬の道」を尋ねることにした。

古代にも集団的自衛権はあったのだろうか。663年、倭国・百済連合軍と唐・新羅連合軍は白村江で一戦を交えた。この戦いでは倭国は大敗した。

ところで、6月10日、毎日新聞「今日の視点」に以下の記事が掲載されていた。いささか長くなるが参考までに。(この情報は堀江幸夫氏の提供によるものです)

「この国のかたち」~司馬さんならどう思う(論説委員重里徹也)

 司馬遼太郎さんが晩年、情熱を傾けたテーマは統帥権だった。エッセー集「この国のかたち」で多角的に論じている。日本史を見渡して、最も大切な問題と考えたのだろう。統帥権とは軍隊の指揮権のことだ。司馬さんは大日本帝国憲法(明治憲法)は今の日本国憲法と同じく、三権(立法、行政、司法)分立の憲法だったと解説する。しかし、昭和に入って変質した。統帥権が次第に独立し、三権の上に立ち、一種の万能性を帯びた。統帥権の番人は参謀本部で、無限の権能を持つに至ったという。
 そこで、「統帥参考」という機密書を紹介している。1932年に参謀本部が本にしたが公刊されず、特定の将校のみ閲覧が許された。その本で参謀本部の将校たちは「おれたちは憲法外なのだ」と明快に自己規定している。天皇でさえ憲法下にあったのに、自分たちは憲法を超越した存在だというのだ。軍部が独走する根拠になった。
 ノンフィクション作家の保坂正康さんはこれを引いて、軍部が政治的実権を固めていく時に「統帥権干犯を許さない」という語が暴力的に肥大化していったと指摘する(5月10日本紙「昭和史のかたち」)。そして、安倍晋三首相が、集団的自衛権を認めるため、憲法9条の解釈変更を閣議決定しようとしているのを批判する。内閣の一存で憲法の従来解釈を変えるのは、閣議決定を縛るべき憲法より上位に位置することになってしまうからだ。
 昭和前期の統帥権と、現代の解釈変更による集団的自衛権の容認。文民統制のある現代を当時とは同一視できないだろう。しかし、両者は憲法を空洞化していく過程という点で似ていると吉田裕・一橋大学(日本近代史)は話す。
 吉田さんによると、統帥権代表の大本営と政府の間に大本営政府連絡会が設置され、重要国策をすり合わせて決めるようになる。その決定は御前会議で裁可され、太平洋戦争の開戦も決められた。閣議はその追認機関になった。憲法が無力化したことが、開戦を止められなかった一因になった。明治憲法は欽定憲法(君主によって制定された憲法)で、改正するのが難しかった。そのため、いくつかの政策で議会と内閣を形骸化させ、改憲せずに実質改憲を実現した。統帥権はその原動力の一つだった。
 集団的自衛権が必要というのならば、真正面から憲法改正を議論すべきだ。過去と論理的整合性のない解釈変更で、この国のかたちを変えてはならない。

「この国」の「かたち」が変質したり、消滅したりすれば元も子もない。国際秩序の変容や今日本が置かれている状況をよく踏まえて考えてみなければいけないと思う。

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